私の頭の中の「夢三郎」という人間
私の中で、髑髏城シリーズ中一番好きなキャラクターとなった「夢三郎」。
好きになってしまったのでひたすらそのキャラクターについて考えてしまうわけです。
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以下ネタバレ有
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夢三郎は「夢虎」として本当の自分をさらけ出した時
「雑魚」「虫ケラ」「ウジ虫」などという言葉を吐くのだけれど、
これはもしかしたら夢三郎が天魔王に呼び寄せられる以前の人生で
ずっと周りの人間に浴びせられてきた言葉だったのではないか。
「武士」「百姓」にこだわるのも、もしかしたら「百姓」として生かされて
武士から見下されてきたからなのではないか。
父親が誰かも教わらないまま生きて寂しい思いや辛い思いを沢山してきたのかもしれない。
そんな人生が髑髏党決起の際に天魔王から呼び寄せられたことでガラッと変わった。
生まれて初めて自分を必要としてくれる存在に出会った。
ましてや本当の父親。
人生で一番の喜びを得た瞬間だったはず。
「伐折羅の夢虎」の名を与えられ、存在価値を与えられ、
その時から夢虎にとって天魔王が自分の全てとなった。
天魔王が喜ぶことなら何だってする。
天魔王の悲願の為なら身体を売ることさえ厭わない。
自分の人生全てを天魔王に捧げよう。
そう誓ってあの日まで生きてきたのではないか。
偽物の鎧と分かったその瞬間、
もしかしたら一瞬「なぜ」と思ったかもしれない。
でも夢虎は言った。
「それでいい。実の息子を騙して囮にして、己の本懐を遂げる。それでこそ天魔王、それでこそ、信長として騙し続けた男だ。」
これは強がりでも開き直りでもなく、夢虎の本心だと思う。
自分に夢虎として、武士として生きる道を与えてくれた
天魔王からの、父親からの最期の大仕事。
捨て駒だったとしてもそれが天魔王の為なら受け入れよう。
誇りを捨て生きていくくらいなら、武士である「伐折羅の夢虎」のまま自ら死を選ぼう。
「天魔王が一子、夢虎」
誇りを捨てず父親のために迷わず切腹した。
傍から見たら「可哀相な子」かもしれない。
でも夢虎は幸せだったんじゃないかな。
幸せだと思いながら死んでいったんだと私は思う。
自分を必要としてくれる人の為に自分のすべてを捧げて果てる。
本懐でしょう?
これで幸せじゃないわけがない。
そう思いたい。
そう願いたい。
それが私の中の「夢三郎という人間」です。
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ちなみに「本当の息子なのか疑わしい」という意見もあるみたいだけれど
私は実の息子だと思ってる。
だってあの天魔王がわざわざ他人の子供にそんなめんどくさいことするかな?
そんな親子設定しなくても優秀な駒に育てるくらいわけないでしょ。
あの天魔王よ。
実の父親としての愛情も少しはあったんじゃないかな。
城で着る着物、わざわざデザイン同じの柄違い着せるとか愛でしょ。
無界屋襲撃で極楽の弾からかばったのも愛でしょ。(まだ死なれては困るって意味もあったろうけど)
ま、これもそうであってほしいなーっていう願いだけど。
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あと残り1か月半でまた考えかわるかもしれないけれど
これが今の私の大好きな「夢三郎」に対する考えです。